Jazzピアニスト石井彰(Akira Ishii)の気まぐれな日記Blog 2015年3月
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テナー&ソプラノサックス奏者 井上淑彦。
初めて彼の名前を知り、コンタクトを取ったのは、約25年前の事。大阪音楽大学を卒業して、大阪でプロとして活動していた頃。
音大の盟友、井上陽介(p)、岡田佳大(ds)そして先輩ピアニスト西村和彦さんが淑さん(と呼ばせてもらいます)のバンドで来阪するという事を聞いての事だった。一緒に研鑽し合っていた友人が次々上京し、こちらは出遅れて悶々としていた矢先に、東京の若手の気鋭のサックスの人のバンドで一堂に凱旋ライブに来る。。。
しかも、まだ聞いたことも会った事もない井上淑彦という人物から直接直筆の手紙を頂き、大阪のライブを行いたいので、出来そうなお店をブッキングしてくれないかということだった。
確か、2軒口利きをしたんだと思う。そして半ば複雑な思いでライブにでかけたのだった。
私が1991年に上京しても、淑さんとは演奏する縁には恵まれなかった。初共演は極最近、6,7
年前くらい、横浜『上町63』での事。初めてデュオで演奏し、そのファイヤーと切なさを併せ持ったプレイとオリジナル曲に魅了されたのだった。そして、ファーストコンタクトのエピソードをお話しした時の気まずそうな笑顔で「覚えてるよ。その節はありがとう!」と言ってくれたのを忘れない。
その後、何度も共演するようになり、事あるごとに興味深いセッションに誘っていただいた。京都『RAG』での東原力哉(ds)市野元彦(gt)との珍しいセッション、沼田『So What』での竹内直(ts)とのツインサックスセッションは鮮明に記憶に残っている。
そして念願のバンド結成。北浪良佳(vo)とのトリオ『Sarasvati』だ。アレンジは最小限、その時その時のインスピレーションでスタンダードもインストバンドのように柔軟に組み立ててゆくという手法は新鮮だった。このバンドも北浪良佳の渡米で休止中。
一番最近では金澤英明(b)石若駿(ds)とのBoys Trioとの共演。凄まじいフリー演奏になった。またやろうと再演を約束したな。この時の録音があるはずだな。
3月25日、井上淑彦氏逝去。享年63歳。
昨年秋に食道癌の治療の為、しばらく活動を休止しますという知らせが入り、お見舞いのメールのやり取りが最後のコンタクトとなってしまった。快方に向かっているという情報があったので楽観していた矢先の事だった。
熱いのだけど決して崩壊はしない美意識。ファンタジー溢れるオリジナルのタイトル。お酒と煙草をこよなく愛する。いつもかっこよかった。『ジェントルマン』という言葉がぴったりだった。
ツアー先のBarで流れていたジャクソン5の『I'll Be There』を聴いて、「この曲、本当に好きなんだ」と、ポロポロ涙をこぼしていた姿。
やはり名古屋ツアーでモンゴル料理やさんに連れて行ってあげたらハマってしまい、その後も一人でも何度も通っていたらしい事。一人でもモンゴル衣装着て羊食ってたんだろうか?
『アンジュール』というオリジナル曲を演奏した際、「この絵本がアンジュールなんだよ」と、おしゃれな絵本を持ってきて見せてくれた淑さん、後日「あのアンジュールの絵本がなくなっちゃったんだ」と悲しい顔で残念がってた。見つかったんだろうか?
こんなお茶目なというか、超ピュアな人間性が表れたエピソードが次から次へと思い出される。
硬派な反面、いつまでも少年のような心を持った人。それが淑さんだった。
死は誰にでも平等に訪れるとは言え、早すぎます。急すぎますよ、淑さん。もっと一緒にやりたかったじゃないすか。
「石井君のバッキングは何を吹いても嘘にならないような不思議なサウンドがあるから一番好きなんだ」と、お世辞かもしれないが言ってくれた事、忘れません。横浜『ドルフィー』で撮った写真を本当に気に入ってくれて、『HPで使うからくれないか?』というので差し上げたら、本当にトップページで使ってくれて、なんだか照れくさくて嬉しかったです。
短い間でしたが本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠り下さい。淑さんの事は忘れません。『ずっと。。。』
14年ぶりのカンボジアプノンペンの街。車とトゥクトゥクとバイクで通りが溢れ、熱い空気と湿気が肌にまとわりつく。凄いパワーを感じます。
Lotus Associationの計らいにより実現した14年ぶりの日野バンドコンサートは東北へのチャリティコンサート。本当に久しぶりのプノンペンの街は比べ物にならないはどの発展を遂げていました。
5日早朝に成田を発ち、ホーチミンシティー経由でプノンペンへ。気温35度。乾期真っ只中。空港から市街地までの車中からの眺めは物凄い勢いで発展しているパワーのカオス。
その日は主催者の木村様の経営する日本食レストラン『おりがみレストラン』での食事会と夜の少しの散歩で終わり。時差も2時間なのでボケることもない。
二日目は午後にリハーサルがあった以外はオフ。カンボジアは午前中から30度を超える。朝の散歩は『ロシアンマーケット』。狭い路地を迷路のように吸い込まれてゆく。衣料品、生鮮食料品、銀製品、仏像彫刻、なんでも手に入りそうだ。
リハーサル後はまた散歩。夜は日本大使館に夕食会に招待されていたので、それまでの時間を惜しむかのようにまだ見ぬエリアに足を踏み入れてゆく。
大使館での歓迎レセプションはカンボジア国王殿下の弟さんも出席。なんとご自身のバンドも持ってらっしゃるそうで!そのメンバーの方々、スポンサーの方々、スタッフの方々と、日本食のバイキングを頂きました。その後また夜の街を撮影に。。。
三日目は本番日。しかし夕方なので、朝食後また散歩。あてもなく歩くとやはり寺に出会う。仏教国だからあたりまえか!オレンジの法衣を纏ったモンクもたくさん歩いているし。当然のことながら日本の仏像とはお顔つき、お召し物も微妙に違い、面白い。何故か寺院内にがらんとしたミュージックホールがあり、カンボジア音楽を聴くことができました!
コンサート会場は立派なホテルのボールルーム。素晴らしいお客様、カンボジア王室の方々、日本大使とそうそうたる聴衆を前に行われました。カンボジアの『プノンペン』という曲や、日本の『川の流れのように』は人々に心から歓迎されたようです。現地スタッフの皆さんありがとうございました!
会場では14年前の訪問の際に会った日本語学校の子供達と再会、立派な青年になった姿を見て嬉しくなりました!カンボジアは東北の震災の復興への支援もたくさんしてくださっているので、そのお礼の気持ちも込めて演奏しました。このコンサートも東北へのチャリティーです。4年前の震災からまだ立ち直れず問題山積みの状態ですが、我々ミュージシャンも微力ながら支援し続けたいと思います。
充実した4日間でした。人々から発せられる強力なパワー、優しさ、マイペースさなどが渾然とある。それを肌で少しでも感じられてよかった。我々も音楽を通じて感謝の気持ちを伝えられたと思います。もっともっとカンボジアと日本の交流を深めて行きたいですね。ありがとう、カンボジアの人達!
今回は写真が多数の為、外部に写真集をアップしています。下記からジャンプしますので、どうぞご覧になり、カンボジアの熱い空気を少しでも感じていただけたらと思います。ダウンロードも自由ですよ!
スライドショー
一枚ずつファイル表示
オススメの鑑賞の仕方。
1。お気に入りの音楽を部屋で流しましょう。ちなみに私の場合は『Caetano/Caetano Veloso』で気分は最高潮に!
2。スライドショーを開始。速度は『遅く』を選択。
3。かなり時間かかりますが、ミニカンボジアツアーが楽しめるはずです!
さらに時間がある方は、全ての写真をダウンロードして、パソコンのスライドショー機能を使ってパソコンの画面一杯の大きさで再生してみてください。さらに臨場感が増し、緻密に街の様子がわかります。
あとはファイル別表示でお気に入りをじっくりどうぞ!!
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